古の伊江島にロマンを馳せる、ノスタルジックな観光スポット「島村屋観光公園」
こんにちは、伊江島観光バス株式会社 Blog担当の藤川です。
伊江島には「タッチュー」と呼ばれる伊江島のシンボルや断崖絶壁の景勝地、
ここにしかないハイビスカス園やキャンプ場など観光スポットがいっぱい!
レンタカーやタクシーを使って快適に、自分のペースで観光して頂いたり、
路線バスでのんびりと、離島の雰囲気、地元の雰囲気を満喫していただくのもおすすめです。
そこで、ぜひ沖縄旅行や伊江島旅行の際、見て欲しい観光スポットをご紹介してゆきます。
今回は、沖縄三大悲歌劇『伊江島ハンドゥー小(グワ)』の悲恋物語の舞台ともなった、
島村屋の屋敷跡に作られた公園「島村屋観光公園」のご紹介です。
古の伊江島にロマンを馳せる、ノスタルジックな観光スポット「島村屋観光公園」
「島村屋観光公園」は、沖縄三大悲歌劇『伊江島ハンドゥー小(グワ)』の
悲恋物語の舞台ともなった、島村屋の屋敷跡に作られた公園です。
島村屋観光公園内には、琉球の時代から受け継がれた農具や漁具、
生活民具、衣装を展示してある民俗資料館があり、
当時の島民の生活を学ぶことができます。
また、海中に米軍が仕掛けた機雷を除去するのに
旧日本海軍が使ったという防雷具の現物も展示。
海中の機雷を引っかけて爆破破壊し潜水艦の
通り道を作るのにも使われていたそうです。
そのほかには、生きたハブが見れたり。ハブの生態について学ぶことが
できるハブ園や、
所せましと商品が並んだお土産品店などがあります!!
そして、「島村屋屋敷跡」。
島村屋屋敷跡をより楽しんでいただきために、
沖縄三大悲歌劇『伊江島ハンドゥー小(グワ)』の悲恋物語の
あらすじをご紹介します。
沖縄三大悲歌劇『伊江島ハンドゥー小(グワ)』の悲恋物語とは?
今から200年程前に琉球王国がまだ薩摩藩(鹿児島)の
支配下に置かれていた頃、伊江島を領地とする地頭代の息子
カナヒーという青年がいました。カナヒーは服を新調する為に、木綿を買うため、
沖縄本島北部の国頭村へいく途中、船が難破し、
辺土名の美しい女性 ハンドゥー小に助けられました。カナヒーとハンドゥー小はお互い惹かれあい、
恋は急激に燃えあがりました。そのころ、伊江島では、伊江島を領地とする地頭代の一人息子
カナヒーがいなくなったと大騒ぎに。
結局、叔父にカナヒーは連れ戻されてしまいます。ハンドゥー小に、一言も伝えずいなくなったカナーヒ。
「愛する人よ、何故、一言もも言わずに、私のもとを去ってしまったのか」
とハンドゥー小は、悲嘆にくれたそうです。でもハンドゥー小は諦めきれず、伊江島からやってきた
船頭主(しんどぅすー)に事情を話して、伊江島へわたりました。胸躍らせてカナヒーと再会するも、カナヒーは伊江島に
既に妻子がいたのです。そればかりかはるばるやってきた
ハンドゥー小に対して、カナヒーは冷たくあしらいます。ハンドゥー小は愛する人の冷たい仕打ちに絶望して、
島の中心にある城山ぐしくやまへ登り、
自害じがいしてしまったそうです。それからカナヒーの父親が原因不明な死をとげ、カナヒーもそれに続いて
死んでしまうなど、カナヒーの一族には不幸が続き、家系は途絶えてしまい、
屋敷跡だけが残り、島村屋観光公園内に「島村屋屋敷跡」として
復元されています。
この島村屋屋敷は、先のカナヒーの父は地頭代であり、村一番の権力者。
現在、島村屋観光公園で管理している敷地は約800坪余ですが、
当日はその三倍 3000坪余と言われいますので、その力の凄さを物語っています。
この、島村屋観光公園の「島村屋屋敷跡」は、
180年前(1796)に建造され、昭和11年(1936)に廃墟になった「島村屋」の住宅を、
そっくりそのままの形で復元。
石の壁、竹の造作、土窯など、当時の伊江島を再現してあり、また軒先の屋根瓦は貧
しかった伊江島では始めてのことでその「島村屋」の権力を後世に残したものだそうです。
いかがでしたか? 現地まではレンタカーやタクシーが大変便利です!
ぜひ、伊江島にお越しになって、島村屋観光公園をご覧ください。
島村屋観光公園 施設案内
営業時間 午前9時~午後5時 年中無休
入場料金
大人 400円
中人 300円
小人 200円お問合せ先 0980-49-2422